埼玉大学周辺地域の歴史

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埼大辺り歴史物語①縄文時代~奈良時代

埼大辺り歴史物語埼玉大学のある この辺りは歴史の宝庫、縄文から江戸へと歴史散歩をして見ませんか。
昔の道は志木・富士見市から荒川を羽根倉の渡しで渡り、埼大前を左へ折れて諏訪坂を上がり国道17 号バイパスを横切って与野本町へ続きます。


1、縄文時代< 埼大通りは海の底>
今から6 千年ほど前、縄文海進と呼ばれ、埼玉大学周辺は海の底でした。
年間平均気温は2、3度高く陸上の氷が溶けて海水面が今より10 メートル近く上昇していました。
北浦和駅方面へ向かい、17 号バイパスを横切って坂を上がると大宮台地です。
洪積台地でいわゆる関東ローム層、火山起源(富士山・箱根山・浅間山・榛名山・赤城山)の火山灰の台地です。
次に西に向かい荒川を羽根倉橋で渡り少し行くと右手に武蔵野台地が見えてきます。
この二つの台地の間が荒川低地で大久保もそこに含まれます。
昔は大窪とも書かれていました。
台地の縁には大戸貝塚や富士見市の水子貝塚等があって多数の縄文人の痕跡が残されています。

図1

2、弥生・古墳時代< 埼大通りは川の跡>
およそ2 千年前ごろから地球の寒冷化が進み海が後退していき、河川が残りました。
今の荒川は入間川として鴨川と乱流しながら埼大通り付近を東へ流れ大宮台地沿いに南へ向かっていました。
灌漑用水の白幡沼や別所沼もそのなごりです。
川が運ぶ土砂が堆積する沖積平野が誕生し、自然堤防上に集落が、後背湿地には田が作られました。
川でやって来た兄弟が南側(埼大構内旧氷川神社跡辺り)と北側(大ケヤキ日枝神社辺り)の開拓主になったとも伝えられ、米づくりが始まったようです。
弥生時代の指導者は方形周溝墓と呼ばれる大型の墓に葬られ埼大周辺からも見つかっています。
5 世紀から7 世紀初頭頃までが古墳時代で大久保古墳群として残されています。
埼大構内からも方形周溝墓や本村古墳と呼ばれるお墓が見つかっています。

図2

3、奈良時代< 埼大通りに八百比丘尼がやって来た>
埼大正門を出て西へ2つ目の信号を北へ入った所に大きなケヤキがそびえています。
日枝神社の社頭にある木で大ケヤキの名で知られ、人魚の肉を食べたため800歳まで生きたと言われる八百比丘尼が植えたと伝えられています。
西区の水波田観音と呼ばれる慈眼寺には八百比丘尼のお墓と言われる石塔が残されています。
この辺りは道場寺院跡と言われ奈良時代の布目瓦や蔵骨器(壺の再利用)も見つかって、古代寺院の跡と考えられます。
写真上からも手前が低くなっており、古代の川の流れを感じ取ることができます。

図3-2

※本記事は 「郷土史研究クラブ 榎本髙信様」ならびに「埼大通り商店会様」にご提供いただきました。
作成にあたり、さいたま市・与野市・富士見市出版の文化財資料を使用させていただきました。
文責:郷土史研究クラブ 榎本髙信

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