埼玉大学周辺地域の歴史

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埼大辺り歴史物語③戦国時代~江戸時代

埼大辺り歴史物語埼玉大学のある この辺りは歴史の宝庫、縄文から江戸へと歴史散歩をして見ませんか。
昔の道は志木・富士見市から荒川を羽根倉の渡しで渡り、埼大前を左へ折れて諏訪坂を上がり国道17 号バイパスを横切って与野本町へ続きます。

7、戦国時代< 埼大通りは落ち武者でいっぱい! >
岩槻城が豊臣側の攻撃で落城し、家臣の多くが大久保や新開に、そして川を渡り志木に土着、帰農したと伝えられています。
岩槻城は小田原北条氏の出城の1 つで大久保もその支配下にあり、北浦和へ向かうディスカウントストアの坂を上がった所に館跡が見つかっており立石氏が居住していたと考えられます。
大田氏房の名で荒川(旧入間川)の周防堤の修築を命ずる古文書が残されており、井原氏や大窪氏の名も見られます。

図7

8、江戸時代< 埼大通りに一里塚が! >
埼大の正門を入り右手の森に一里塚と氷川神社がありました。志木の宗岡にも一里塚の跡があり五街道以外にも塚があって旅人の目安になっていたことがわかります。
現在も一里塚の屋号を持つ家が正門前にあって歴史を伝えています。
上大久保の氷川神社は埼大が移転する前まで、この森にありました。
市指定文化財になっており、社伝では大宮氷川神社を譲り受けたとしており文禄五年(1596)建立の棟札の写しが残っています。
まさに徳川家康の時代で、近くには家康の朱印状が残る大泉院もあります。
大泉院は岩槻太田氏の家臣 春日氏の菩提寺で、徳川時代は旗本として活躍しました。
地元の宮大工、志村弥五郎の手になる山門や四神図のある鐘楼も見応えがあります。
本堂裏手には旗本人見氏のお墓があります。

図8

※本記事は 「郷土史研究クラブ 榎本髙信様」ならびに「埼大通り商店会様」にご提供いただきました。
作成にあたり、さいたま市・与野市・富士見市出版の文化財資料を使用させていただきました。
文責:郷土史研究クラブ 榎本髙信

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